歯科医師 佐鳥茂について

生まれも育ちも群馬渋川、スキーに入れ込んだ学生時代

私の父は家電の販売店、母は洋裁学校の校長をしていました。小学生のころは母の作ったオリジナルの服を着せられ、同級生にからかわれて恥ずかしかったのを覚えています。

中学生になると夢を持つようになり、会社の中で働くよりは自分で事務所を構える、設計士のような職業に就きたいと考えていました。また父は若いころ歯科医になりたかったけれど周りに反対されたそうで、しきりに私に「歯科医になりなさい」と言っていました。開業すれば自分の好きなようにやっていけるし、また手先が器用でもあったので、歯科医になるのもいいなと次第に思うようになりました。中学校ではバスケ部で毎日猛練習に励み、キャプテンまで努め、人間関係にもたくさん苦労しました。また冬の間はスキー部も兼部し、県大会で3位にまでなったことがあります。

高校もその延長でスキー部に入りましたが、とてもとても厳しいところで、1年半ほどで辞め、勉強に打ち込み、歯科医を本格的に目指すようになります。

苦労の末、神奈川歯科大学に入学、そこでもスキー部に入りました。こちらはゲレンデを中心にした基礎スキーのクラブで、楽しみながら活動していました。ここでも人間関係でたいへんな苦労をしたのを覚えています。後になってみればここでの経験が役に立ったなと思います。皆の意見を吸い上げながら自分たちの居場所を良いものにしていく、このときの理念が今の歯科医院経営にも反映されていると感じます。

さとり歯科クリニックを開くまで

神奈川歯科大学を卒業してからは地元に戻り、群馬大学の歯科へ勤務しました。出血が多くなったときや心臓の発作が起きたときの咄嗟の事態の対応に外科的知識が必要かなと思い、口腔外科を選びました。またガン専門の医療機関に派遣させていただき、たくさんの手術の経験を積み、外科に関する多くの知識を身につけました。

外科で十分な実績を積むと、今度は一般的な歯科医療に関わりたいと思い、口腔外科を退社。東京の三井物産本社内にある診療所に勤めました。ここは会社内で治療負担がかなり出ることもあり、自費診療にも多く関わる機会ができ、質の高い診療に携わることができました。

そして、母が洋裁学校を閉じるのをきっかけに、その場所で医院を開業しないかという話があがり、再び地元渋川へ戻ることになりました。東京での充実した歯科治療の日々を離れるのは少し心残りではありましたが、1980年、29歳にてさとり歯科を開くことになりました。手探りな状態からのスタートで苦労も多かったですが、それがかえって自立精神を養い、長く地元に親しまれる歯科医院になる礎となったようにも感じています。

大学での研鑽から始まり、群馬大学での外科経験、そして診療所での質の高い医療、これらを存分に活かし、30年以上地元の方々に親しまれながら、これまでさとり歯科は歩んでこれました。これからも患者さんと一緒に素敵な未来を進んでいける、思いやりのある歯科医院でありたいです。

院長 佐鳥茂

経歴

1977年 神奈川歯科大学卒業
1977年 群馬大学 歯科口腔外科入局
1979年 三井物産本社 歯科室勤務
1980年 さとり歯科クリニック開業 

資格等

  • 顎咬合学会認定医
  • ICOI(国際インプラント学会)認定医
  • IPOI(近未来オステオインプラント学会)認定医

所属学会・所属スタディーグループ

  • 顎咬合学会認定医
  • 日本顎咬合学会
  • 日本口腔インプラント学会
  • 国際インプラント学会(ICOI)
  • 近未来オステオインプラント学会(IPOI)
  • 新潟再生歯学研究会
  • 北毛再生歯学研究会

趣味

  • テニス
  • スキー
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